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宜野座村松田米軍ヘリ墜落の死亡者 [ニュース]

大変なニュースが入ってきた!



本日


8月5日の午後4時過ぎ




宜野座村松田の米軍基地キャンプ・ハンセン内で飛行中の米軍ヘリが墜落したというのだ。




米軍ヘリの墜落場所は、国道329号の道。


宜野座村松田潟原から宜野座カントリーに入っていった場所に墜落したという目撃情報がある。




では、この米軍ヘリ墜落による被害状況はどうか?




まず、死亡者の数、氏名だが


この米軍ヘリに搭乗していた者は、死亡しているだろう。



何名搭乗していたかは、現時点では不明。


搭乗者の氏名も不明だ。




では、墜落地点での被害者、死亡者はどうか?


これについても、現在、情報収集中で、被害者、死亡者の数、氏名などはまだわかっていない。




墜落直後、現場では黒い煙が大量に発生していたが、今は、白煙に変わっているという。


早急な、消火活動、救助活動を期待したい。






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サッチャー 息子 [ニュース]

イギリス初の女性首相であったマーガレット・サッチャーが、2013年4月8日に亡くなった。

享年87歳だった。





長引く不況に苦しむイギリスにおいて、公営企業の民営化、規制緩和を推進するなど、
様々な改革を断行し、
そしてイギリス経済を復活させたマーガレット・サッチャー。


また、アメリカとの連携を強化し、
旧ソビエト社会主義共和国連邦を崩壊に追い込んだマーガレット・サッチャー。



その圧倒的な手腕から、彼女は「鉄の女」とも言われた。

(女優・堀北真希さんが俳優・小出恵介さんから「鉄の女」と言われているらしいが、それとは全く意味が違う)




しかし、その一方でマーガレット・サッチャーは、家庭では、息子マークを溺愛した。



イギリスを復活させた剛腕マーガレット・サッチャーの息子は幼いころから出来が悪かった。


ろくに勉強をせず、成績が悪かった息子の入試に際し、
莫大な裏金を使って息子を名門校に入れさせたマーガレット・サッチャー。


大人になってもろくでなしであった息子は脱税をしてしまうが、
母マーガレット・サッチャーは日本円で1億を超える示談金を支払って息子を救った。



死者が出るほどの過酷なカーレースとして有名な「パリ・ダカール・ラリー」に息子マークが出場した。

周囲の予想通りにマークはレース途中にサハラ砂漠で行方不明になる。
すると、マーガレット・サッチャーは、ななんとフランス大統領に軍隊の出動を要請。

前代未聞の要請ではあったが、そこは「鉄の女」サッチャーの指示。
逆らうわけにはいかない。
しぶしぶ軍隊を派遣したフランス政府。そして、マークは無事救出される。

しかし、後から分かったことではあるが、マークは、ただたんにレースにつかれて寝ていただけだったという。

そして、軍隊出動に際して必要となった1億円近くの費用は、イギリスの税金が当てられていたという噂も・・・・・・・。


この時に、サッチャーが残した名言がある。


「税金はちょっとしか使っていないわよ」



マーガレット・サッチャーは首相としては「鉄の女」であるとともに、母としては「親バカ」でもあったのだ。





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奥西勝 子供 [ニュース]

1961年4月3日。


それは、奥西勝の子供が小学校に入学する前日の事であった。



名張毒ぶどう酒事件の殺人犯として、奥西勝は警察に逮捕された。

現在から遡ること約52年も昔の事だ。

逮捕の決定的根拠となったのは自白だという。





同年3月28日

三重県名張市葛尾の公民館で、農村の懇談会が行われた。


日本酒とワインが用意され、出席した男性には日本酒、そして女性にはワインが振舞われた。


出席者は奥西勝を含む男性12名。
そして、奥西勝の妻と、そして奥西勝の愛人であった女性を含む女性20名だ。



ところが・・・・・・



宴会が始まった直後から、女性17名が急性中毒の症状を訴えた。
そして、この17名のうちの5名が亡くなった。


被害者は女性だけだ。

そして、急性中毒の症状がでなかった女性は、ワインを飲んでいなかった。




ワインに原因がある。




警察がワインを調べたところ、懇談会で振舞われたワインの中に農薬が含まれていることが判明した。

殺人事件だ。




小学校入学の直前に、悲惨な事件で母親を失った子供。

十分に人間の〝死〟を理解できる年齢だ。

本来なら、希望に満ち溢れて新しい環境に飛び込むはずであったろう。

どれ程、辛い思いをしたであろうか。




だが、

まさに、追い打ちをかけるようなショッキングな出来事であったはずだ。




子供ながらに、辛い思いを胸に秘めて、小学校に入学する決意を固めていたであろう。

1961年4月3日。

亡くなった母を殺した容疑者として、父・奥西勝が逮捕されたのだ。



これ以上の悲劇はない。


あれから50年以上の月日が流れた。

当時6歳であった奥西勝の子供も、もう年齢は50代後半であろう。


その後の消息は明らかではないが、

奥西勝の子供は、いつしか故郷を離れ、身を隠すように暮らしているという話だ。






今もなお、冤罪の可能性が高いと言われている名張毒ぶどう酒事件

50年以上、無罪を訴え続けている奥西勝

奥西勝の無罪を信じ続けて、亡くなってしまった奥西勝の父と母

そして、消息を絶ってしまった奥西勝の子供。


事の真相は解らないが、

この事件が、奥西勝の家族を地獄につき落としてしまったことだけは、事実だ。





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