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奥西勝 子供 [ニュース]

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1961年4月3日。


それは、奥西勝の子供が小学校に入学する前日の事であった。



名張毒ぶどう酒事件の殺人犯として、奥西勝は警察に逮捕された。

現在から遡ること約52年も昔の事だ。

逮捕の決定的根拠となったのは自白だという。





同年3月28日

三重県名張市葛尾の公民館で、農村の懇談会が行われた。


日本酒とワインが用意され、出席した男性には日本酒、そして女性にはワインが振舞われた。


出席者は奥西勝を含む男性12名。
そして、奥西勝の妻と、そして奥西勝の愛人であった女性を含む女性20名だ。



ところが・・・・・・



宴会が始まった直後から、女性17名が急性中毒の症状を訴えた。
そして、この17名のうちの5名が亡くなった。


被害者は女性だけだ。

そして、急性中毒の症状がでなかった女性は、ワインを飲んでいなかった。




ワインに原因がある。




警察がワインを調べたところ、懇談会で振舞われたワインの中に農薬が含まれていることが判明した。

殺人事件だ。




小学校入学の直前に、悲惨な事件で母親を失った子供。

十分に人間の〝死〟を理解できる年齢だ。

本来なら、希望に満ち溢れて新しい環境に飛び込むはずであったろう。

どれ程、辛い思いをしたであろうか。




だが、

まさに、追い打ちをかけるようなショッキングな出来事であったはずだ。




子供ながらに、辛い思いを胸に秘めて、小学校に入学する決意を固めていたであろう。

1961年4月3日。

亡くなった母を殺した容疑者として、父・奥西勝が逮捕されたのだ。



これ以上の悲劇はない。


あれから50年以上の月日が流れた。

当時6歳であった奥西勝の子供も、もう年齢は50代後半であろう。


その後の消息は明らかではないが、

奥西勝の子供は、いつしか故郷を離れ、身を隠すように暮らしているという話だ。






今もなお、冤罪の可能性が高いと言われている名張毒ぶどう酒事件

50年以上、無罪を訴え続けている奥西勝

奥西勝の無罪を信じ続けて、亡くなってしまった奥西勝の父と母

そして、消息を絶ってしまった奥西勝の子供。


事の真相は解らないが、

この事件が、奥西勝の家族を地獄につき落としてしまったことだけは、事実だ。





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