小山明子 うつ 原因 [芸能]
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日本映画界を代表する美人女優の小山明子さん。
20歳で女優としてデビューし、その美貌で世の男性を虜にした。
しかし、その小山明子さんが重度のうつ病を患っていたという。
その原因は・・・
小山明子さんの夫は
そう
あの「戦場のメリークリスマス」の大島渚監督だ。
世界の大島渚だ。
だが、大島渚と小山明子さんが出会ったころ
既に小山明子さんはトップクラスの人気女優だったが、
一方の大島渚は、まったくの無名の助監督に過ぎなかった。
ところが、
なんと駆け出しの助監督に過ぎなかった大島渚が、
時の女優・小山明子に一目惚れ
それから大島渚の猛アタックが始まった
なんと、5年間で360通のラブレターを送り続けたらしい。
今ならば、間違いなくストーカー規制法で大島渚は逮捕されているであろうが、
しかし、時代は1950年代
こんな(今で言えば)ストーカー的猛アタックが効を奏し、
なんと女優・小山明子はしだいに助監督・大島渚に心を惹かれていったという。
そして・・・
「監督になったら貴女をカンヌへ連れて行く」
このプロポーズで小山明子さんは、大島渚との結婚を決意した。
1960年
小山明子と大島渚は結婚。
二人の子宝にも恵まれた。
そして、結婚から23年後
「戦場のメリークリスマス」が世界中から大絶賛をあび、
大島渚監督と小山明子さんはカンヌ映画祭に招待された。
「監督になったら貴女をカンヌへ連れて行く」
大島渚は、妻へのプロポーズの誓いを、23年越しに果たしたのだ。
何もかもが順風満帆だった。
そう
1996年のあの時までは・・・・
「大島渚監督が倒れた!!」
日本中に衝撃的なニュースが飛び交った。
そうだ。
大島渚監督が脳溢血で倒れたのだ。
半身不随となり言語障害も残る程の重傷だった。
それからだ。
妻・小山明子の介護生活が始まった・・・・・。
経験したものでなければわからないであろう。
食事の世話
御風呂の世話
下の世話・・・
24時間、365日、休むことなく介護が続く
夫・大島渚のため、小山明子さんは在宅で懸命に介護を続けたのだ。
しかし・・・
小山明子さんの体力、精神は限界を超えていた。
もともと痩せていた小山明子さんなのに、体重が15キロも減っていた。
そして
「重度のうつ病です」
医師にそう告げられたのだ。
夫が半身不随
そして、介護をする妻が重度のうつ病
まさに、どん底だった
小山明子さんは、精神科の閉鎖病棟へ強制入院させられた。それも4回も。
しかし、そんな小山明子さんを救ったのは、意外にも介護を必要としていた夫の大島渚だった。
ある時、大島渚のリハビリをサポートしている医師が、小山明子さんにこう言った。
「大島渚さんは、とてもハングリーにリハビリに努めています。もう一度、映画を撮りたいという一心で・・・」
小山明子さんは、改めてリハビリに励む夫の姿を見た。
たしかに、大島渚は本気だった。
その姿を見て、小山明子さんは心を固めた。
「監督・大島渚を絶対に支え続ける」
それからの小山明子さんは一変した。
全く無頓着だったお洒落や化粧にも気を配るようになった。
つとめて笑顔を振舞うようにした。
大島渚監督の介護も、適度に休みを入れ、水泳やボイストレーニングに通うようになった。
すると・・・
あれだけ重かったうつ病も、いつのまにか軽くなっていた。
脳溢血で倒れてから17年後の2013年
大島渚監督がお亡くなりになった。
「この17年が、夫婦として一番濃密な時間を過ごせました」
小山明子さんはそう語っている。
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日本映画界を代表する美人女優の小山明子さん。
20歳で女優としてデビューし、その美貌で世の男性を虜にした。
しかし、その小山明子さんが重度のうつ病を患っていたという。
その原因は・・・
小山明子さんの夫は
そう
あの「戦場のメリークリスマス」の大島渚監督だ。
世界の大島渚だ。
だが、大島渚と小山明子さんが出会ったころ
既に小山明子さんはトップクラスの人気女優だったが、
一方の大島渚は、まったくの無名の助監督に過ぎなかった。
ところが、
なんと駆け出しの助監督に過ぎなかった大島渚が、
時の女優・小山明子に一目惚れ
それから大島渚の猛アタックが始まった
なんと、5年間で360通のラブレターを送り続けたらしい。
今ならば、間違いなくストーカー規制法で大島渚は逮捕されているであろうが、
しかし、時代は1950年代
こんな(今で言えば)ストーカー的猛アタックが効を奏し、
なんと女優・小山明子はしだいに助監督・大島渚に心を惹かれていったという。
そして・・・
「監督になったら貴女をカンヌへ連れて行く」
大島渚 DVD-BOX... |
このプロポーズで小山明子さんは、大島渚との結婚を決意した。
1960年
小山明子と大島渚は結婚。
二人の子宝にも恵まれた。
そして、結婚から23年後
「戦場のメリークリスマス」が世界中から大絶賛をあび、
大島渚監督と小山明子さんはカンヌ映画祭に招待された。
「監督になったら貴女をカンヌへ連れて行く」
大島渚は、妻へのプロポーズの誓いを、23年越しに果たしたのだ。
何もかもが順風満帆だった。
そう
1996年のあの時までは・・・・
「大島渚監督が倒れた!!」
日本中に衝撃的なニュースが飛び交った。
そうだ。
大島渚監督が脳溢血で倒れたのだ。
半身不随となり言語障害も残る程の重傷だった。
それからだ。
妻・小山明子の介護生活が始まった・・・・・。
経験したものでなければわからないであろう。
食事の世話
御風呂の世話
下の世話・・・
24時間、365日、休むことなく介護が続く
夫・大島渚のため、小山明子さんは在宅で懸命に介護を続けたのだ。
笑顔の介護力 [... |
しかし・・・
小山明子さんの体力、精神は限界を超えていた。
もともと痩せていた小山明子さんなのに、体重が15キロも減っていた。
そして
「重度のうつ病です」
医師にそう告げられたのだ。
夫が半身不随
そして、介護をする妻が重度のうつ病
まさに、どん底だった
小山明子さんは、精神科の閉鎖病棟へ強制入院させられた。それも4回も。
しかし、そんな小山明子さんを救ったのは、意外にも介護を必要としていた夫の大島渚だった。
ある時、大島渚のリハビリをサポートしている医師が、小山明子さんにこう言った。
「大島渚さんは、とてもハングリーにリハビリに努めています。もう一度、映画を撮りたいという一心で・・・」
小山明子さんは、改めてリハビリに励む夫の姿を見た。
たしかに、大島渚は本気だった。
その姿を見て、小山明子さんは心を固めた。
「監督・大島渚を絶対に支え続ける」
それからの小山明子さんは一変した。
全く無頓着だったお洒落や化粧にも気を配るようになった。
つとめて笑顔を振舞うようにした。
大島渚監督の介護も、適度に休みを入れ、水泳やボイストレーニングに通うようになった。
すると・・・
あれだけ重かったうつ病も、いつのまにか軽くなっていた。
脳溢血で倒れてから17年後の2013年
大島渚監督がお亡くなりになった。
「この17年が、夫婦として一番濃密な時間を過ごせました」
小山明子さんはそう語っている。
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